私たちが日常生活で摂取している食事からは、エネルギーだけではなく、様々な栄養素を吸収しています。そして、栄養素が体内でそれぞれの役割を果たしていることによって、私たちの身体を正常に機能させることができています。
肌荒れしたときはビタミンC、骨を丈夫にするためにはカルシウムというように、目に見える、または体感できるような栄養素の役割は、皆さまもご存知のことでしょう。
しかし、摂取する数々の栄養素は、体内の目に見えないところで、組織を動かすスイッチとして、あるいは神経伝達をスムーズにする円滑剤として、それぞれ重要な役割を果たしています。
その栄養素どれかが欠乏すると、身体の機能が正常に働かなくなり、ときに大きな病となることがあるのです。そのうちの一つとしてあげられるのが、「ウェルニッケ脳症」とよばれる病気です。
そこで、ここでは、ウェルニッケ脳症についての症状や原因、治療法などをご紹介いたします。
この記事の目次
ウェルニッケ脳症が起こるメカニズム
ウェルニッケ脳症は、急性期と慢性期(後遺症)に分けられるため、別名「ウェルニッケ・コルサコフ症候群」とも呼ばれています。
ここで重点的にあげる、ウェルニッケ脳症というのは急性期にあたるもので、慢性期においては「コルサコフ症候群」にあたると言われています。
これは、ビタミンB1が欠乏することによって生じる、中枢神経疾患の一つで、記憶障害や運動失調、場合によっては死に至ることもある深刻な症状を引き起こします。
ビタミンB1と脳の関係
ビタミンB1は「チアミン」とも呼ばれている水溶性のビタミンです。チアミンは糖代謝には必要不可欠な栄養素で、酵素の働きを補う「補酵素」として、エネルギーの生産をサポートしています。
チアミンが不足すると、この糖代謝が正常に行われなくなるため、ブドウ糖を主なエネルギー源とする脳に異常が起こり、中枢神経や末梢神経までも、正常に保つことができなくなるのです。
このようにビタミンB1(チアミン)が欠乏することによって「中枢神経」に障害が起こると、ウェルニッケ脳症を引き起こし、「末梢神経」に障害が起こると、脚気とよばれる多発神経炎を引き起こします。
ウェルニッケ脳症を引き起こしたときの脳の状態
ウェルニッケ脳症になると、脳の極めて特異的な場所に病変が起こります。乳頭体、中脳水道周囲、第4脳室低、第3脳室周囲(視床内側)など、脳の縦断面図をみると、ちょうど脳の中心部よりやや下の部分にあたる箇所に、異変が見られることが多くあります。
これには、ビタミンB1(チアミン)が関係する糖代謝の依存度が影響しており、とくに脳室周囲では高く依存しているため、このような部位に好発すると考えられています。
しかし、ごく稀に、皮質化白質や中心溝周囲皮質に異常が見られるケースもあるようです。
また、後遺症となるコルサコフ症候群の段階では、乳頭体が萎縮し、第2脳室や中脳水道の拡大が起こります。
ウェルニッケ脳症(急性期)の症状
では、このような脳の病変が起こると、どのような症状現れるのでしょうか?まずは、急性期の具体的な症状について、見ていきましょう。
眼球運動障害
急性期の代表的な症状としてあげられるのが、この眼球運動障害と呼ばれる症状です。
- 外直筋の麻痺によって目を外側に動かせない
- 内斜視(より目)になる
- 内眼筋の麻痺による瞳孔の異常
これらの症状が現れ、回復するにつれて、
- 眼球が水平に振れる「水平眼振」
- ものが二重に見える「重視」
- めまい
といった症状が現れるようになります。このような症状が見られた場合は、ウェルニッケ脳症の可能性がありますので、すぐに病院を受診してください。
運動失調
小脳は大脳に比べると目立ちませんが、神経細胞の約半分は小脳にあると言われています。そして、その主な働きとして、運動指令を送ったり、バランス感覚を保つという役割を担っているのです。
そのため、ウェルニッケ脳症によって小脳に病変が見られた場合、
- 直立歩行が不安定になる、ふらつく
- 何かにつかまらないと立てない
- 倒れる
- 思うように手足が動かない
といった症状が現れます。
意識障害
ウェルニッケ脳症の特徴とも言えるのが、突然起こる意識障害です。その程度や症状については、脳に病変が起きた箇所や重症度によっても異なりますが、
- 活力低下
- 注意力・集中力が散漫になる
- 傾眠傾向(刺激がなければ眠るものの、軽い刺激によって目が覚める)
- 混乱・錯乱・せん妄状態になる
- 昏睡
といった症状が現れます。これらは、全て同時に起こるというわけではなく、いずれかの、あるいはいくつかの症状が突然出てくるようです。
また、認知症やうつ病などの症状と似ているため、ウェルニッケ脳症の早期発見が困難になるケースも少なくありません。当てはまる症状が見られた場合には、まず、命に関わる病気であるという可能性を排除するためにも、早めに病院へ行くことをおすすめします。
慢性期(コルサコフ症候群)の症状
では次に、ウェルニッケ脳症の後遺症であるコルサコフ症候群の症状について見ていきましょう。急性期とは異なる、慢性期特有の症状があるようです。
健忘
最も治りにくいと言われているのが、この「健忘」という症状です。健忘には「前向性健忘」と「逆行性健忘」の2種類があり、前者は、新しいことを覚えることができない、後者は昔のことに関する記憶が正しく思い出せないといった特徴があります。
健忘は知的障害とは異なり、何かを覚えたり記憶するといったことが正しく行えなくなります。
見当職障害
これは、時間や場所、季節、曜日、自分がそのときいる場所などがわからなくなる症状です。「今日は何日?」「今どこにいるの?」といった質問をしても、正しく答えることができません。
まるで認知症のように見えますが、コルサコフ症候群の症状として見られる見当職障害の場合、ある特定の日時や記念日などは明確に答えられることもあり、そういった点では、認知症とは異なると言えるでしょう。
また、潜在記憶は正常なため、洋服を着たり、靴を履くといった日常的な行為は問題なく行えることもあるようです。
作話
文字通り、作り話をしてしまうのが、この症状にあたります。作話の症状には、自発的に作り話を始める場合と、何らかのきっかけによって作り話をする場合の2パターンがあります。
前頭葉に障害が起こると、自ら作り話を始めるといった症状が見られます。これは、急性期に見られることが多いのですが、慢性期の場合においても稀に見られることがあります。
また、何らかのきっかけによって作り話をする場合、「どこにいたの?」というような、誰かからの質問などをきっかけに、そこから話を作り上げてしまうのです。
前者に比べ、どちらかというと慢性期に見られるのはこちらのケースが多く、他人が聞けば明らかに筋の通っていないような内容であっても、本人にとってはそれが本当だと思い込んでいます。
しかし、このような症状がなぜ起きるのか、といった明確な原因は判明していないのが現状です。
コルサコフ症候群については、コルサコフ症候群とは?症状や治療方法、原因を理解しよう!アルコールの過剰摂取に要注意!を参考にしてください!
ウェルニッケ脳症を招く原因は?
ビタミンB1(チアミン)が欠乏することによって生じるウェルニッケ脳症ですが、食が豊かになった現代では、食べるものがなくて栄養不足を起こすことはほとんどありません。しかし、何らかの病気や生活習慣がきっかけで、ビタミンB1(チアミン)が欠乏することがあります。
それでは、ビタミンB1(チアミン)の欠乏を引き起こす原因ついて、見ていきましょう。
アルコール依存症
アルコール依存症は、時間を問わずアルコールを摂取し、お酒を飲んでいない時間が続くと禁断症状が出たり、精神不安定になるといった症状を引き起こす依存症です。
アルコール依存症の人の多くに、食事をきちんと摂らずに飲酒したり、過剰な飲酒によって胃腸機能に障害が出るといった問題が見られます。
このような状態になると、
- 食事を摂っていないため、慢性的な栄養不足になる
- 飲酒による下痢で、小腸からビタミンB1を吸収できなくなる
- アルコールによって、ビタミンB1の活性化が阻害される
- アルコールを分解するためにビタミンB1が多く使われる
というようなことが起因して、ビタミンB1の欠乏を引き起こすリスクが高くなると考えられています。脳の糖代謝だけではなく、身体のエネルギーを生産するTCA回路(クエン酸サイクル)と呼ばれる、体内の燃焼システムを見ても、様々なところでビタミンB1が必要になります。
それに加えて、アルコール分解にも必要になること、そしてそのアルコール摂取量が大量であることを考えても、アルコール依存症が、ウェルニッケ脳症を引き起こす病気であるということは、明らかなのではないでしょうか。
悪阻
実は、妊娠した女性でも、ウェルニッケ脳症を引き起こすことがあるのです。これには、悪阻が関係しており、妊娠しても全く悪阻のない人もいれば、入院が必要になるような、重度で長期に渡る悪阻に悩まされる人もいます。
この時点で、産婦人科で点滴などの適切な処置をしてもらえば、問題はないのですが、水一滴すら飲めない重度の悪阻を放置しておくことで、栄養不足を招き、その結果ウェルニッケ脳症になってしまうといったケースもあるようです。
重度の悪阻に悩まされている場合には、お腹の赤ちゃんのためにも、早めに病院で治療をしてもらうことが必要です。
摂食障害
摂食障害とは、何らかの原因で食べ物を全く食べず、飲み物しか飲まない、あるいは、自分が設定した低カロリー食材しか食べない、大量に食べて自発的に吐く、といった様々な「食と見た目に対する強いこだわり」を、脅迫的に抱き続ける心の病です。
摂食障害には、大きく分けて、拒食、過食嘔吐、過食の3パターンに分けられますが、このうち、拒食や過食嘔吐になると、身体はげっそりとやせ細り、著しい栄養不足を引き起こします。
このような栄養不足の状態がさらに悪化すると、ビタミンB1も欠乏し、ウェルニッケ脳症を引き起こしてしまうのです。
胃の全摘手術
胃がんなどの治療のために、胃の全摘手術を受けた患者にも、その後ウェルニッケ脳症が現れたという報告も多くあるようです。消化吸収において、大きな役割を果たしている胃を、全て摘出したとなると、いろいろな問題が出てくることは容易に想像できます。
この場合、手術を受けてから、数日~2・3ヶ月後にウェルニッケ脳症の初期症状が見られます。胃の全摘手術を受けた場合には、その後の食事・栄養管理には細心の注意を払う必要があると言えるでしょう。
偏食
食べ物が豊富にある現代でも、「必須栄養素」をきちんと食事から摂取していない場合、ウェルニッケ脳症を引き起こす可能性があります。インスタント食品ばかり食べていたり、お菓子を食事代わりにするといった、偏った食生活は慢性的な栄養不足を招きます。
インスタント食品は、手軽で安価に済むため、節約のためにこのような食生活をしている人もいるようですが、身体のことを考えると、できるだけ自炊するよう努め、栄養バランスの良い食生活することが必要です。
ウェルニッケ脳症の診断基準と検査方法
では、実際に病院でウェルニッケ脳症かどうかを調べていくためには、どのような方法があるのでしょうか?
診断基準としては『低栄養状態、ビタミンB1異常値』『眼球運動異常』『小脳障害』『意識障害』の4つのうち、2つ以上当てはまった場合、ウェルニッケ脳症であると診断されます。その後、さらに詳しい検査をする際には、以下のような検査方法があげられます。
MRI検査
CT検査では、脳の病変を発見することが難しいため、ウェルニッケ脳症の検査では、MRI検査が行われます。頭部MRI検査にて、前途した乳頭体や第3脳室周囲、中脳水道周囲、第4脳室低などを確認し、
- 脳室の拡大
- 皮質・海馬の萎縮
が見られないかを検査します。
血液検査
血液検査によって、血中のビタミンB1値を検査します。標準値を大きく下回った場合、ウェルニッケ脳症の可能性が高くなります。
血糖値検査
なぜ、ビタミンB1欠乏によって生じる病気の検査で、血糖値を調べる必要があるかというと、ウェルニッケ脳症と類似した症状を持つ病気が、ほかにもあることが関係しています。
例えば、低血糖の場合、治療ではブドウ糖を点滴しますが、これはウェルニッケ脳症においては適切な治療法ではありません。
効果的に治療を進めていくためにも、正確な診断が必要になるため、血糖値の検査を行うのです。
ウェルニッケ脳症の治療法は?
ウェルニッケ脳症は、乳頭体や視床内側での病変が認められた場合、後遺症を起こすことが多いと言われていますが、中脳水道周囲のみの場合は、予後は良好だと言われています。
また、治療は、早ければ早いほど、その後の経過を良好にします。
ビタミンB1の投与
ウェルニッケ脳症急性期で最も多く行われているのが、ビタミンB1の点滴投与で、場合によっては、内服薬を使用することもあるようです。欠乏しているビタミンB1を、早い段階で投与するほど、その効果は高いとされています。
ちなみに、症状が改善する際には、「目の症状」→「意識障害」→「運動失調」の順で改善すると言われているようです。
断酒する
これはアルコール依存症の場合のみに限らず、ウェルニッケ脳症においては断酒をするのがベストと言えるでしょう。先にも述べたように、アルコールを分解するためにもビタミンB1を使ってしまいます。
さらに、それだけではなく、アルコールは末梢神経障害による知覚障害を招く危険もあるのです。依存性でなくともアルコールの摂取は避け、依存症の場合は、専門医のもとで治療を受ける必要があります。
食生活の改善
原因の項目でもあげたように、摂食障害や偏食の改善も、ウェルニッケ脳症の治療においては必要不可欠です。
摂食障害の場合は、食にこだわりを持ってしまう心のあり方を見直し、専門のカウンセラーなどとともに、根本的な治療に取り組む必要があります。
また、偏食の場合は、肉や魚、野菜、お米、というようにバランスのとれた食事を心がけなければなりません。
「私たちは、食べた物でできている」という言葉がありますが、まさにその通りなのです。
リハビリ
ウェルニッケ脳症の治療で重要なのは、脳のリハビリです。リハビリというと、硬直した筋肉を動かしたり、関節の可動域を広げるといった「運動」によるリハビリを想像する人も多いかもしれません。
しかし、記憶障害などは、その都度メモをとる、見直しの習慣をつけるといった「記憶力=脳」のリハビリをすることで回復するとも言われています。
また、アルコール依存や末梢神経に異常が出ている場合にも、それぞれのリハビリ治療が必要です。
慢性期の場合においては、完全に回復するというのは難しいと言われています。急性期の段階で適切な治療を行うことが大切です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。肉体だけではなく、内臓や神経を正常に保つためにも、栄養素は非常に大切です。これは、ウェルニッケ脳症のみに言えることではなく、普段から栄養バランスや生活習慣に気をつけておくことが、健康維持の秘訣となるのです。
また、ビタミンB1は玉ねぎやにんにくに含まれる「アリシン」という成分と結びつくことで、熱にも強く、吸収率も上がるので、これらを組み合わせてメニューを考えるというのも良いでしょう。