挙動不審になる事は誰にでもあり、又好き好んで挙動不審な言動を起こす人はいないでしょう。
しかし挙動不審にどうしてもさせてしまう場面や事柄によって、不本意にも挙動不審な行動をとってしまい、人を不安にさせたり疑われたりと、自分にとっていいことなど何もありません。
挙動不審になる人の特徴や原因を深く掘り下げてみると、笑っていい事から笑えない事まであり、一括りに挙動不審な人で終わらせる事は極めて安易な考えであると気づくことがあります。
挙動不審な人の特徴
まず一般的に言われている挙動不審の定義は、不自然な言動をして、挙動が不審な場合をいいます。その事を前提にその特徴を見て行きましょう。
眼の動きが不自然
やたらと視線が散乱(眼が泳ぐ)していたり、相手と話していても目を合わせようとしなかったりと、目のやり場に困っている状態です。
このような状態は相手に不信感を与え「自分のこと嫌いなのかな」「調子悪いのかな」と心配を煽ってしまいます。
落ち着きが無い
今やらなくてもいい事をやったりして一人焦っている状態にあります。例えばどこに行くでもなく、その場を行ったり来たりしたり、同じ確認動作を繰り返し行ったりして周りに「気に障る」と捉えられたりします。
動揺して不審な言動が目立つ
急に泣き出したり、怒ったりと感情の起伏が激しくなり、周りに掴みどころがない相手と見られ挙動不審な人と捉えられます。動揺している状態から突拍子もない発言や行動は相手に強い不信感を抱かせます。
声がどもったり、言葉をかんだりする
緊張する場面や状況で声がどもったり、言葉をかんだりして相手との意思疎通がうまく図れなくなったり、言葉でうまく表現できません。
その事によって人からからかわれたり、悪意が無いにしても馬鹿にされることで、更に挙動が不審になっていきます。人によっては、声がどもったり、言葉をかんだり相手がする事で苛立ちを覚え険悪なムードになってしまう事もあります。
挙動不審の原因
挙動不審の原因を知りましょう。
不安を抱えている
その時に接している人や、行っている事に対して不安を抱いていると、あたふたしてしまい挙動不審に見られ易くなります。
強い緊張
馴れない人前での発表など、自分に不慣れな状況において強い緊張を起こった場合、挙動不審になります。
強い緊張状態で挙動不審になる場合、大抵が頭が真っ白になってしまい、これからどうすべきなのか、どのようになるのかを考えれば考えるほど挙動不審の度合いは強く表面に現れます。
怯えている
自分に人や環境が危害を与える恐れがあると感じたり、強い強迫観念に囚われてしまった場合に挙動不審な行動を起こします。
特に誰からも注目を浴びているわけではないのに、監視されているなど妄想的な強い思い込みから挙動不審に陥ってしまう場合は、精神的に自分を追い詰める傾向にあり、精神疾患の疑いもあります。
自分に自信が無い
自分が人より劣っていると感じてしまう事で、挙動不審な行動を起こす場合もあります。
人から注意される事が多く、最初はただの注意と受け取っていた事が、度を超してしまうと「どうせ自分なんて」「自分には無理だ」など自信を無くしていき、通常出来ていた日常の行動までも覚束なくなってしまうことがあります。
結果、その行動が失敗を生み、自信の喪失に繋がり悪循環を繰り返す事になります。
挙動不審を改善するには
挙動不審になってしまう事で損をしたり、最悪精神に異常をきたしてしまいます。
挙動不審な行動には、その行動に対する原因があり、それらを改善する事で症状は出にくくなります。又その原因も多種多様なため人によって改善策は異なってくるという認識が必要です。
周りの人の気遣い
これは挙動不審に陥った人というよりも、その周りの人の行動や理解力で挙動不審に陥ってしまう人を改善するという方法です。
挙動不審な行動を起こす人にとって、その行動は「笑ってほしい」とか「人に迷惑を掛けたい」といった考えから起こる行動ではないという事を十分に理解してあげましょう。ふざけ合った仲間同士の馴れ合った関係の中で、挙動不審な行動をとる人を馬鹿にしたりする事はよくある光景ですが、必ずしも本人がその事に関して愉快に思っているとは限りません。
もし、本人もその馴れ合いの中で挙動不審な言動を周りが楽しんでいるのだから、それでいいと考えていても、そんな事が通用するのは学生時代までの話であって、社会に出ると笑ってくれるというよりも、むしろ注意されやすく人から頼りにされるような事はまずないでしょう。
更にはやってもいない事を疑われたりと散々な目に遭います。もし周りに常に挙動不審な人がいたりした場合は、何かしら問題を抱えている場合もある為、その人にとって落ち着ける環境を作ってあげる事が必要です。
久しぶりに会った友達が挙動不審になっていたとしたら、浅はかに変な宗教を信仰していて自分を隠していたり、お金を貸してくれとか言いにくいことを言おうとしている場合もありますが、表面的な問題だけでなく、挙動不審になっている人の人生の中で、深く自分自身の人格を否定し始めている場合もあるという事を理解してあげましょう。
冷静になる
挙動不審になってしまう事で問題になるのが、その行動が悪循環を起こして止まらなくなるという事です。
例えば
緊張⇒挙動不審⇒ミスをする⇒気持ちを落ち着かせようとする⇒焦りが生まれる⇒緊張の増加
といったように、抑えようとすればするほど悪循環に陥ってしまう事があります。
その負のスパイラルを断ち切る為には一度冷静になる事でその悪循環から脱却する必要があります。
簡単に冷静になるといっても挙動不審になった状態で冷静になるということは難しく、逆にいえば冷静になれないから挙動不審になってしまうともいえます。そこで何故冷静になれないかという事に着目する事にします。
冷静になれない要因には、挙動不審な状態に自分が追い込まれると気持ちが焦り初め、次から次へと問題が起ってくるような感覚に陥っているという事がいえます。その状態で目の前の現状に対応しようとしても、言動が追いつかず挙動不審な言動は収まりません。その事を更に顕在化しますと、脳内の混乱に繋がります。その例えとして次の例を挙げます。
ベルトコンベアーは止まらない
昭和にヒットした歌謡曲の曲名の様なタイトルですが、挙動不審に陥る過程を解りやすく、脳が受け取る情報をベルトコンベアーで運ばれてくる荷物に置き換え、その荷物を出荷するという設定で説明いたします。納品担当A 出荷担当Bとします。
ベルトコンベアーで運ばれてきた荷物を受け取り、納めるべき場所へ納め、次の荷物が来るとまた同じように納めていくという単純作業の中で、Aは「これ何処に収めようか」と迷ってしまいます。そうこうしている間に、荷物は次から次へと運ばれて来て、最初は丁寧に積み上げていた荷物も散乱し、散らかり放題となってしまいます。(脳内パニック)
「やばいやばい」と思って新しく運ばれてきた荷物を取りに行っても整理がついていない置き場所に放り投げてしまうなどして更にパニックを起こしてしまいます。(情報認識の散乱)
それを受け取るBは出荷のために必要な荷物を取り出したいが、散乱した荷物の中から適切な荷物を運び出すのには時間がかかり、焦りからミスを連発します。(挙動不審の言動)
この場合の荷物の受け取りは情報の脳内へのインプットにあたり、出荷はアウトプットとなります。そこで疑問に浮かび上がるのが「常に挙動不審な人は、じゃあどうなってんのよ?」となりますが、その場合は
慢性的に荷物が散らかっている状態、若しくはAとBの関係が上手くいっていない状態といえます。荷物の置き場所の認識がAとBとでは違ったり、Aの作業に対してBの作業が遅かったり、又その逆も然りです。精神的な用語を持ち出すと自律神経失調症ともいえます。
前置きが長くなりましたが冷静になる方法という話にここで戻します。
冷静になる為の具体策
簡単に言うと”完璧であろうとしない”という事です。
コンベアーで運ばれてくる荷物のスピードは言わば、その時の現状の事なのでスピードを落とすなど自分の都合に合わせる事は出来ません。問題は作業が雑になる事で、挙動不審な言動に繋がるということなので、それを改善するには丁寧な作業を行えばいいのです。
「でも次から次へと荷物は運ばれてくるから無理でしょ」となりますが、全ての荷物を受け取る必要は無く、適当に受け取れる分だけ受け取れば脳内でのパニックは起こさないで済むでしょう。
そこで冷静になりワンテンポ自分の中で感覚を置くことで、落ち着いた行動へと繋がっていきます。手段として深呼吸をしてみるのもいいでしょう。
「だから」と「でも」の使い分け
自分の短所にばかり目を向けていると自ずと自信は減っていき、他人に対しても劣等感を感じてしまいます。その事が挙動不審になる言動に繋がってしまう場合は考え方に問題があると言えるでしょう。
自分の事をダメな人間だと考える人の特徴として、短所にばかり目が行き長所を見る事を厳かにしている場合が多くあります。
健全的な考え方は「自分はこういうところがダメだ」と考える一方で「でもこういういいところもある」と長所と短所を区別して考える事が出来ますが、挙動不審な人の場合は「自分はこういうところがダメだ」とここまではいいのですが、「だから、こういうところもあるだ」と短所を勝手に自分の中で関連付けてその考え方の延長線上で物事を考えようとしています。
そこで、実践的な方法がマイナス思考の考え方をしてしまっている場合は、その後に「でも、、、」と付け加えてあげれば自然と相反するプラスの考えが浮かび上がる事があります。
又逆にマイナス思考での考え方をしたその逆に「だから、、、」と付け加えると短所を助長する考えになってしまいます。
この方法はすぐに言葉が出なくてもいいです。例えば「なんで自分は誰からも愛されないんだろう」と考えたら、心の中ですぐに「でも、、でも、、でも、、」と繰り返えし呪文のように唱えます。そしてもし「でも、、、でも、、、」の後に続く言葉が浮かんだらすぐにつぶやきましょう。それは「でも自分は強い」「でも考えすぎって事もいえるな」など解釈の違いは人それぞれですが効果的方法です。
理想の人の真似をする
自分が理想とする人を想像して、その人の対応を真似する事で改善を図ります。要は役者になった気持ちでその人になりきる事で、挙動不審な自分を脱却するという事です。
そうする事で、自ずと自信を持った身の振り方を身をもって覚えるという方法になります。
しかし、”自分をしっかり持つ”という風習が広く良い事であると認識されている中で、深く考えてしまう方は「じゃあ、自分を持つって事に関して言えば、自分は無く空洞的な存在?」ってな事に行きつき、そんなのは嫌だと思われる方の為に、ここで1つ屁理屈を提示しておきます。
無我という仏教哲学思想
本来自分という物は存在しないという考え方です。
その考え方は仏教においての”無我”という考え方にあります。簡単に説明しますと、”自分”(仏教でいう自我の事)という物は環境やその時の状況で変わるものであり、決して”自分”という固定的なものは存在せず、その時その時に在る自分を”自分”だと考えることで勝手に作り上げる虚像に過ぎないという考え方です。その”自分”という物に執着する事が苦しみを生む、、、、とりあえず、その考え方に至るには、仏教思想の中での過程があっての事なのですが、話が脱線しすぎる恐れがある為、割愛させていただきます。よって固くなる必要は無く、自分が思うがままに、なり切ってみるのはどうでしょう?
※上記で屁理屈といったのは挙動不審の改善方法に伴う一般的な理屈に対しての屁理屈であるという意味で、決して悪い考え方ではありませんのでご理解をお願い致します。
恥を捨てる
原因の多くは自意識が過剰に強いという事が1つの要因として挙げられます。
ここでいう自意識とは、「相手はこう考えているに違いない」「変に思われたくない」といったような考えに基づき、気にしないようにとすればするほど、挙動不審な言動は止まる事がありません。
そこで、注目したいのが強い自意識ではなく、その強い自意識を隠そうとしているところです。では何故隠すのか?それは自信が無い事を後ろめたく思っていたり、嫌われたくないと考えていることにあります。その改善策は2つあります。
考え方を変えるなんて二の次
1つは考え方を変える。もう1つは勇気を出してさらけ出す。という2つの方法が考えられます。
気が小さい方は前者を選ぶでしょうが、それは無意識に考えている事である為、その考えを否定してしまう事は難しく、行き過ぎると自己嫌悪にも陥ってしまう危険も伴います。
つまり後者の恥もプライドも捨てて勇気を出してさらけ出すという事が、健全で利口な改善策となるのですが、ほとんどの場合考え方を変えようとしてしまう方が多いでしょう。
何故なら他人から傷付けられず、自分の中だけで解決できる前者に比べて、後者は他人に傷付けられる危険があるからです。
しかし、一番の危険は人からの批判よりも、自分自身を批判する事の方がより精神的に負荷がかかり、又難しいという事を理解する必要があります。そして勇気を出してさらけ出すことによって、初めて無意識の中での考えは変わります。
重要なのは誰からも好かれようとしない事と、自信が無い事は恥ずかしい事では決してないという事を体に覚えさせる事です。それは、場数を踏むようなものになってくるので、少し強引かもしれませんが、馴れてくると「意外と小さな事で悩んでいたな」なんて思うものです。
挙動不審な言動も落ち着き始めると、考え方も気づいた時には変わっていることでしょう。
専門医に診てもらう
挙動不審になってしまう原因が精神疾患からなるものである可能性も十二分にあります。
例えば”統合失調症””うつ病””社交性不安障害”といった病気が存在し、上記で述べた改善策は飽くまでも一般的境地からの物言いで、病的な症状については理屈云々並べても仕方がない事もあります。
専門医に診察てもらい然るべき処置を行いましょう。
まとめ
挙動不審の言動の根本的な原因を1言で言うと、自分に不都合な事を周りに隠す事で引き起こるといえます。
具体的に物を盗んだり、自分の言動とは裏腹にまったく違う事を考えていたり、つまりその状況から逃げたいと考えてしまう事で挙動不審に陥り易くなります。
しかし、その挙動不審になっている原因が明確に自分で解っているのなら(極端に言うと物を盗んでその罪を逃れようと弁明するなど)ただの挙動不審になっていると片付ける事が出来ますが、実際思い当たる節も無く、自分の考え方やコンプレックスから挙動不審になってしまうという事は極めて悩ましい問題です。
もし「自分が生まれた時は裸の恰好で、看護婦や知らない人に見られて恥ずかしい思いをした」とその事を人生の恥ずかしい汚点と捉えている方がいれば話は別ですが、結局は自分の思い込みによる幻想だと思って、肩の力を抜いて自然に生きていく事が大切です。
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