ハンセン病という病名を聞いたことがある、という人は多いと思います。ハンセン病患者は日本に限らず、世界中で差別の対象となってきた歴史のある病気です。
ハンセン病は研究や治療法がまだ進んでいなかった時代、感染の恐れやきちんとした対策が講じられなかっために、様々な悲しい歴史を生みました。
では、ハンセン病とはどのような病気なのか。その特徴的な症状にはどのようなものがあるのか。それらのことについて具体的にみていくことにしましょう。
この記事の目次
ハンセン病の症状とは
ハンセン病の症状として以下のことが挙げられます。
皮膚症状
ハンセン病の最も特徴的な症状は皮膚の変性です。この症状も程度があり、一目でハンセン病と判断できるもの、一方で判断の難しいものがあります。
皮膚症状は顔や背中、皮膚、四肢と至る部位に発症します。時には四肢関節の変形を招くこともあり、生活に支障をきたす要因となります。
変性にも種類があります。紅斑、白斑、浮腫、丘疹と多岐にわたります。また、これらが帯状や環状に見られます。皮疹そのものにかゆみなどの症状はありません。
知覚障害
皮膚には外部からの刺激を判断する神経が張り巡らされています。痛みや寒暖、触覚などは神経を通じて、感じることができます。
ハンセン病を発症すると、知覚障害を発症します。つまり、これら感覚機能が低下し、外部刺激に対して対応が緩慢になります。
皮膚症状が起こっている部位では特にそれが顕著で、針などの外部刺激を与えても、痛みを感じなくなります。また、寒暖を感じないので、しばし火傷に気づかないこともあります。
脱毛
ハンセン病を発症すると毛根が侵されることで、脱毛症状がみられます。頭髪を始め、眉毛、まつ毛の抜けが顕著にみられます。
発汗力の低下
汗を出す汗腺も病気によって侵されてしまうことがあります。発汗機能が低下し、汗が出にくくなります。体温調整がうまくいかず、外気温に気を配る必要があるでしょう。
顔面の麻痺
ハンセン病の特徴は神経を侵してしまうことにあります。人によっては顔面神経を侵されることもあり、表情を作ることができなくなります。
粘膜の異常
鼻づまりや鼻血といった粘膜症状を発症することがあります。
その他の重篤な症状
ハンセン病では重篤な症状となると、失明、手足の潰瘍、獅子の麻痺、筋肉の萎縮、体力の減衰、衰弱などを招くことがあります。
ハンセン病の種類
ハンセン病には幾つかの種類があり、具体的には以下の通りです。
らい腫型
らい菌に対する免疫がほとんどない人が感染・発症する病態です。体、四肢の癩腫と呼ばれる紅い腫れが好発します。また、眉毛の脱毛を生じ、顔面に大きな変性をもたらします。LL型とも呼ばれます。
類結核型
本来、らい菌に対する免疫はあるものの、何かしらの原因で免疫力が低下し、発病してしまう病態です。知覚の低下を伴う皮疹が発症し、病気の進行とともに、拡大していきます。TT型とも呼ばれます。
境界域型
上記2つの症状を兼ね備え、中間に位置する病態です。紅斑が広範囲に広がり、同時に知覚障害も見られます。
症状が急激に進行する「らい反応」
ハンセン病の治療を行い、順調に進んでいると思った矢先、症状が急激に悪化することがあります。これをらい反応と呼びます。らい反応では以下の症状が見られます。
- 顔面等皮膚が急激に赤く肥大する
- 神経の炎症の悪化
- 発熱
- 化膿
症状の発症に伴い、速やかな治療が必要です。
ハンセン病の原因とは
ハンセン病は「らい菌」と呼ばれる細菌に感染することで発症します。らい菌そのものの感染力は非常に弱く、大人が感染しても、ハンセン病を発症することはまずありません。
ハンセン病を発症する人の多くは、抵抗力の弱い幼児期にらい菌に感染している可能性があります。らい菌の感染は、未治療の保菌者からの飛沫が原因と考えられています。
らい菌に感染した後は、環境的な要因や体質によってその後発病時期は大きく異なります。人によっては一生発病しないまま生涯を終えるということもあります。
現在の日本ではハンセン病の発病者はほとんどいません。感染源となる人もいないので、感染するケースもありません。また、遺伝性もありません。
ハンセン病の治療とは
ハンセン病の基本的な治療方針は、後遺症を残すことなく、早期に治療を開始し、原因となっているらい菌の速やかな体外排除です。早期治療がこの病気のポイントといえるでしょう。
ハンセン病の初期症状は体の末端部位、つまり体温の低い部分に現れる皮疹・紅疹です。この段階できちんと治療をすれば、その後重篤な後遺症を発症することはありません。
反対に治療が遅れれば遅れるほど、知覚障害や神経障害のほか、四肢や皮膚の変形を招き、これらを完治することは困難になります。
ハンセン病は抗生物質を服用することで治療していきます。症状の進度により、内服薬の種類や期間、量が異なりますが、早期であれば後遺症もなく完治することができます。
ハンセン病患者について
毎年、ハンセン病の新規患者数は数人程度といわれています。しかし、原因となるらい菌の保菌者はほとんどいないので、今後増加することはありません。
一方で戦前戦後の日本では患者数が3000人ほどいました。当時はハンセン病に関する知識や治療法が確立されておらず、患者に対する差別や隔離が行われていたのも事実です。
ハンセン病患者を隔離する政策は1907年から1996年の90年間続けられていました。その間、強制的な隔離をハンセン病患者は強いられ、人権を無視した対応を強いられていたのです。
ハンセン病の感染力が弱いことは、1907年の政策成立の時点でも医学の知識として認知されていましたが、それを無視した患者への対応がなされてきました。
国立の療養施設では、現在も2000人近い元ハンセン病患者が生活をしていますが、当時受けた差別がトラウマとなり、社会と交わることを拒む人は少なくないといいます。
ハンセン病から考える病気の捉え方
ハンセン病の歴史は非常に長く、日本においては日本書紀にもその記述があるといわれています。それほど昔から人々に猛威をふるいながら存在した病気といえます。
ハンセン病の原因がわかったのは1873年。病名の由来にもあるノルウェーのハンセン医師がらい菌を発見したことがきっかけです。
それまではハンセン病の原因は不明で、周囲の人たちは感染しないだろうか、と大きな不安を抱えていたのかもしれません。その表れがハンセン病療養所なのだと思います。
療養所ができる以前でも、ハンセン病は差別の対象となっており、家族や親類間でもその存在は忌み嫌われていました。周囲からの差別は想像を絶するものがあったのかもしれません。
しかし、現在はきちんとした治療を行えば治る病気です。ましてや、自然の治癒力によって仮に感染したとしても病気を発症することは稀です。
こうした医学の知識を持たず、もしくは活用せず、病気だけ、人だけを見てしまうと、それは差別の原因になってしまうのかもしれません。
ハンセン病の隔離政策が撤廃されたのが、1996年。平成に入ってからですから、ここ20年という最近の出来事といえます。それまで、ハンセン病に関する大勢の見方は改善されていなかったのです。
実際、隔離政策が行われていた当時はハンセン病患者を一方的に療養所に隔離し、反抗する患者は窓のない独房に入れることもしていました。まさに人権を無視した行為といえます。
今でこそ、その事実は非人道的だと理解することができますが、その結果を招いたのは、社会的な知識不足・理解不足が原因なのかもしれません。
それはまさに患者にレッテルを貼り、社会の片隅に押しやってしまうようなことでしょう。歩み寄らず、近寄らず。その社会的な意識が悲しい過去を作り出してしまったのです。
ハンセン病から何を学ぶか
社会的なレッテルを貼り、それが増大してしまうと、人は時として人権を無視した行動を取ってしまいます。それはハンセン病の例からわかるのではないでしょうか。
確かな事実を無視し、偏見だけで物事を決めつけてしまうと、その現場にいる人たちに多大なる損害を与えてしまうことがあるのです。
ハンセン病に限らず、社会にはあらゆる価値観と事実があります。それらを一意見だけ、もしくは増大した社会的レッテルだけで判断してしまうと、どれが正しく、どれが間違っているかがわからなくなってしまいます。
ハンセン病から学ぶべきことは、事実をきちんと見極め、冷静に正しい判断をすることの重要性なのだと思います。
まとめ
不治の病と言われていた病気が、現代では治ることがあります。例えば結核という病気は、ほんの100年前は不治の病の代名詞でした。しかし、医療の進歩によって病気の感染者は減少し、仮に感染・発症したとしても完治することができます。
一方で、そういった病気が完治するとは別に変えなければならないことがあります。それは人の病気に対する意識、特に偏見です。ハンセン病はそのことについてはとても重要な意味があります。
ハンセン病は感染力は低いという知識があったものの、外見の変質に伴う偏見から、患者は社会的に差別を受けてきた歴史があります。その差別や偏見は、医療では治すことは難しいのかもしれません。
ただ、現場で当事者として事実を受け止め、生きている方がいるのも事実です。そういった方に対して、社会として、そして一個人としてハンセン病を考えるのか。そのことには重要な意味があるのだと思います。
それは病気に限らず、あらゆる社会的通念を考えるのにも必要なことです。一方的に決めつけていることが、実は事実と違っていた。そんなことも起こりうるからです。
その事実と持っている価値観が違った時、どう行動するのかもまた、人類が考えるべき問題の1つなのかもしれません。ハンセン病はその1つのきっかけなのだと思います。