大量の水を飲まずにはいられない。そんな心の病気があるのをご存じでしょうか。「心因性多飲症」といいます。うつ病はストレスによって抑うつ症状が出る病気ですが、それと同じように心因性多飲症もストレスが原因です。患者は、水を飲むとストレスが解消されると感じているのです。
水を多く飲むことは本来は良いことなのですが、過剰になると別の重大な病気を引き起こします。「低ナトリウム血症」という病気です。この病気と心因性多飲症はセットで考える必要があります。
心因性多飲症の症状
人は水を飲み、水を排泄します。しかし「水を飲む」といっても、水分摂取の方法はさまざまあります。例えば水分を含む食べ物を食べても「水を飲む」のと同じ効果が得られます。また「水の排泄」といえばおしっこを思い浮かべるかもしれませんが、ウンチの中にも水分が含まれますし、汗としても体から水分が出て行きます。
しかし、この記事ではそこまで厳密に考えずに、コップで水を飲む量と、おしっこの量だけをみてみます。1日に2.5リットル以上の尿が出ると、「多尿症」と診断され心因性多飲症が疑われます。
1日10リットルも
心因性多飲症の患者の中には、1日10リットルもの水を飲む人もいます。500ミリリットルのペットボトルで20本にもなります。もちろんお茶やコーヒーのこともあります。患者は水分を摂ることで心が落ち着きますが、次第に水分を摂っていないと落ち着かなくなります。
心因性多飲症の診断では、意図的に1日6リットル以上の水分を摂取していることが目安になります。6リットルでもペットボトル12本になります。
見られないように飲む
患者は「がぶ飲みしているところを誰かに見られるのは嫌だ」と考えるので挙動不審になります。会社員が心因性多飲症を発症すると、仕事場で異常な行動が見られます。12本ものペットボトルを机の上に並べることはできないので、机の中やカバンの中に、水やお茶を隠すようになります。また社内に自動販売機があれば、気持ちが落ち着かなくなるとそこに行ってジュースを買って飲み、気持ちを落ち着けてから職場に戻ります。
頻繁にトイレに行く
成人がおしっこを最大限我慢して「もう漏れそう」という状態で出る尿量は大体500ミリリットルです。そこまで達しなくても、膀胱に300ミリリットルも溜まれば、かなり強い尿意を感じます。
心因性多飲症が低カリウム血症を引き起こすと腎臓がやられます。しかし腎臓がきちんと機能しているうちは、きちんとおしっこが出ます。
つまり、6リットルの水を飲めば6リットルのおしっこが出るということです。膀胱に300ミリリットルが溜まった時点でトイレに行くとすると、1日20回もトイレに行くことになります。つまり本人も周囲は、明らかに様子がおかしいということに気付くはずなのです。
心因性多飲症の原因
心因性多飲症を引き起こすのはストレスです。職場や学校での人間関係や、仕事や学業への不安は強いストレスになります。
小さなストレス
普段であれば気にならないような小さなストレスであっても、長期にわたって溜まり続けると、病気を引き起こすのに十分なストレスの量に達します。ですので、心因性多飲症の患者からストレスの原因について話を聞くと、「そんなささいなことで?」と感じるかもしれません。しかしささいなストレスの方がやっかいなのです。患者本人も周囲の人も気付かず、どんどん溜まっていくからです。
突発的なストレス
心因性多飲症を引き起こすストレスには、一気に頂点に達するストレスもあります。それを突発的なストレスといいます。例えば、交通事故で家族を亡くしたり、自覚症状がないのに重い病気が見つかったりすると、それまでまったく心の重荷がなくても、心が壊されてしまいます。
もちろん、ストレスを受けた直後に水をがぶ飲みするわけではありませんが、「水を飲むと落ち着く」という経験をすることで、「落ち着くために、まずは水を飲んでおこう」と発展し、次第に水分量が増えていくのです。
心因性多飲症の治療
心因性多飲症の病気は心の病気なので、治療ではまず、何が心の障害になっているのか、原因の特定を行います。受診科は、精神科、心療内科、神経内科になります。
原因特定
医師はまずカウンセリングを行います。カウンセリングと聞くと、患者から話を聞くことと想像すると思いますが、それほど単純ではありません。心因性多飲症の患者は、水を飲む行為と自分が抱えているストレスが関連していることを知らないからです。
認知度が低い
それは、心因性多飲症という病気の認知度が低いからです。同じ心の病気でも、うつ病対策は厚生労働省などの啓蒙キャンペーンのおかげで、国民の理解が進みました。しかし心因性多飲症はそこまで知られていないので、「異常な病気」という偏見があります。
また患者には「ストレスがあるから水を飲んでいる」という自覚がありません。患者は「のどが渇いた」と感じるので水を飲むのです。そして水を飲むと気持ちが晴れるので、ますます水が飲みたくなるのです。これは喫煙者にとってのタバコと同じです。喫煙者にはタバコはとてもおいしいものなのです。
医師は心因性多飲症の患者に、大量の水をほしがるのは体が渇いているからではなく、ストレスによる異常行動であることを理解させなければなりません。患者の気持ちに寄り添いながら、それをじっくり根気強く行うのがカウンセリングです。
ストレス除去
カウンセリングによって、患者に治療に取り組む準備ができたら、治療は大きく分けて2つあります。1つは原因となっているストレスを取り除くことです。さまざまなしがらみが絡み合っていることが多いので、それをひとつひとつほどいていかなければなりません。
職場と家族の協力は不可欠です。家族の協力は比較的得られやすいのですが、職場の理解までは進まないことがほとんどです。それは患者本人に、職場の同僚や上司に相談したくないという心理が働くからです。しかしこの病気にとってより深刻なのは職場で生じている葛藤なので、ここは乗り越えなければなりません。
薬物療法
ストレス除去と同時に薬が処方されることがあります。心因性多飲症の患者は精神が不安定なことが多いので、精神安定剤が必要になります。
ホルモン剤を服用することもあります。抑うつ症状が出ている場合は、うつ病の薬も使います。薬の効果はかなり期待できますので、早めの受診が望ましいです。
低ナトリウム血症の症状
心因性多飲症がほかの心の病気と異なる点は、深刻な臓器の病気を引き起こすことです。体内の水分が増えることで、体内のナトリウム濃度が激減します。この状態を「低ナトリウム血症」といい、神経が壊されてしまいます。
こん睡状態
低ナトリウム血症の代表的な症状は、頭痛、興奮、けいれん、錯乱です。悪化するとこん睡状態に陥ります。
また、人格が変わってしまうこともあります。
低ナトリウム血症の原因
大量の水分が体内に入ってくるということは、体の細胞に大量の水が溜まることを意味します。このため神経が壊されてしまうのです。神経は、脳の命令を器官や臓器に伝え、また逆に、器官や臓器が集めた情報を脳に届ける仕事をしています。そのため神経がやられると、器官や臓器がきちんと動かなくなるのです。
もちろん脳も臓器のひとつです。低ナトリウム血症によって脳が障害されるので、頭痛や錯乱が起きるのです。
低ナトリウム血症の治療
低ナトリウム血症は、体内に水分が増えたことで、体内のナトリウムが減ってしまう病気です。ナトリウムは塩です。塩分の摂りすぎは心臓病の大敵なので、「ナトリウム=健康に悪い」と考えている人がいると思いますが、それは間違っています。
ナトリウムは体にとってなくてはならない成分なのです。正しくは「ナトリウムの過剰摂取=死を招く」です。
そうであるならば、低ナトリウム血症の治療は体の水分を外に出すことで済みそうです。しかしこれも簡単にはいきません。
利尿剤
利尿剤は尿意を人工的につくりだし排尿を促す薬です。ですので、患者に水を飲ませないようにした上で、利尿剤を処方すれば、体内の水分量は減ります。しかし急激に体内の水分量を減らすと、それによっても神経が壊されてしまうのです。
つまり、大量の水を飲むことは体を害する行為なのですが、それが長期化すると、体は害されつつも「調整が取れている状態」になっているのです。そんなときに急激に水を取り除こうとすると、「調整が取れている状態」が崩れてしまうのです。
低ナトリウム血症の治療では、尿の量を計測しながら利尿剤が使われます。
水分制限
水分制限は厳格に行われます。1日250~500ミリリットルしか飲めなくなります。
まとめ
心因性多飲症の治療も困難を極めます。心を癒すには急激な水分制限は控えなければなりませんが、低カリウム血症は深刻な病気ですから水分摂取を控えることは急務です。
つまり互いに矛盾する治療を同時に行わなければならないのです。この状態は、治療に取り掛かる時期が遅れれば遅れるほど、悪化します。「やけに水を飲むな」と感じたら、すぐに医者にかかりましょう。