私たちが普段、不自由することなく、身体を動かすることができるのは、なぜでしょうか。骨があり、その周りには神経や筋肉といった様々な組織が、まるで計算されたように、実に巧妙に配置されています。しかし、それらが「あるだけ」の状態では、動かすことはできません。
動かすためには、「指令」が必要です。脳が発する「指令」が、多くの神経を伝って筋肉を収縮させたり、自分が意図したとおりに動かすことができるのです。
このような精密な仕組みは、私たちが母親のお腹の中にいる間に、おおよそが構成されています。ところが、全ての人が、お腹の中で過ごす期間を、問題なく過ごせるわけではありません。
皆さまは、「脳性麻痺」という言葉をご存知でしょうか。脳性麻痺も、そのうちの一つで、母親の身体の中で過ごす際、あるいは生後まもなくに、何らかの原因で脳が損傷を受けることで、誕生した赤ちゃんに、深刻な障害をもたらします。
そこで、ここでは、脳性麻痺には、どのような症状があり、何が原因で生じるのかなどを、詳しくご紹介いたします。
脳性麻痺とは?
厚生労働省の脳性麻痺研究班が、1968年(当時は、「厚生省」という名称だった)に発表したものによると、「生後4週間以内に、脳が何らかの損傷を受けて起こる、永続的な非進行性の運動障害、あるいは神経障害」が脳性麻痺の定義だとしています。
この定義は、時を経た現在も変わることはなく、また、医療の進んだ今もなお、脳のダメージを修復する治療法は開発されていないため、完治することはないと言われています。
このように、受胎から新生児期に受けた脳の損傷によって、様々な運動障害、あるいは神経障害といった、後遺症が生じた状態の総称を「脳性麻痺」と呼んでいます。
脳性麻痺になる確率
脳性麻痺になる確率は、決して低いとは言えません。その頻度は、1000人に対して、約2人~3人、早産の場合は、その確率が10倍にもなるのです。そして、早産によって、赤ちゃんの出生時の体重が少ないほどに、その確率は高くなると言われています。
脳性麻痺の治療法はまだ開発されていない一方で、妊娠から出産までの、母児の安全性を研究する「周期産医療」はどんどん発達しており、低体重の赤ちゃんの救命率は以前に比べると、大幅に上がっています。
すなわち、これは、脳性麻痺が増加傾向にあることを意味することにもなるのです。
脳が損傷を受ける原因
前途のように、脳に損傷を受ける時期は、母親のお腹にいる胎児~生後、新生児期の間です。赤ちゃんの脳に損傷が及ぶには、いくつかの原因が考えられていますが、全てのケースにおいて原因が明確になっているわけではなく、最終的に原因が不明のままといった場合もあります。
現在、脳性麻痺の原因として考えられているものは、以下のとおりです。
<妊娠中(胎児期)>
これは、母親の妊娠中に、お腹にいる赤ちゃんの脳が損傷を受けるケースです。考えられる原因には次のようなものがあげられます。
- 風疹、サイトメガロウイルスなどの、ウイルス感染
- トキソプラズマなどの寄生虫感染
- 妊娠高血圧症候群
- 胎盤機能不全や子宮壁からの剥離(分娩前)による、胎児の酸素不足
- 脳形成異常
- 染色体異常
<出生時>
- 出生時の呼吸不全・循環不全(出生時仮死)
- 梅毒感染や前置胎盤などが起因する「血液型不適合」による核黄疸
- 出生時低体重による脳周囲白質軟化症、あるいは頭蓋内出血
<出生後>
- 髄膜炎
- 脳炎
- 頭部外傷
脳性麻痺の症状とは?
それでは、脳に損傷を受けることによって生じる後遺症(脳性麻痺)には、どのようなものがあるのでしょうか。脳性麻痺の症状の多くは「運動障害」だと言われています。
その程度は、損傷を受けた部位や程度によって異なり、いくつかのタイプに分類されています。しかし、1つの病型のみを発症するわけではなく、以下にあげるい病型が、いくつか合併して生じることもあるようです。
痙直型
脳性麻痺の中でも、全体の約70%を占めると言われているのが、この「痙直型脳性麻痺」です。身体の麻痺を生じた部分では、筋肉が硬直しており、筋力低下が見られるのが特徴です。
これは、脳で運動を起こす指令を出す、中枢神経系の「錐体路(すいたいろ)」と呼ばれる、神経伝導路が損傷を受けることによって生じると考えられています。
通常、左右どちらかの錐体路が損傷を受けると、その反対側に麻痺が起こることが知られていますが、痙直型の脳性麻痺では、以下のように症状が現れるようです。
- 両腕、両脚ともに麻痺が生じる「四肢麻痺」
- 両脚に麻痺が及ぶ「対麻痺」
- 両腕のみ、あるいは両脚のみに麻痺が生じる「両麻痺」
- 片方の脚あるいは腕に麻痺が生じる「片麻痺」
これらのなかでも、「四肢麻痺」の場合は、日常生活を過ごすうえで、車椅子は必要不可欠となり、場合によっては、寝たきりの状態になることもあります。
また、麻痺の影響で視点が安定しない、斜視などの症状が合わせて見られることもあるようです。
これらの症状に加えて、知的障害や精神遅滞、嚥下障害、痙攣発作などを合併するケースも決して少なくありません。とくに、嚥下障害では、口から入れたものが、食道ではなく気管に入ってしまい、肺損傷を招く危険性もあるのです。
また、比較的重症度の低い「片麻痺」の場合においては、精神発達や知能においては、四肢麻痺に比べると軽度になりますが、はさみ歩行(歩行時に、自分の足にぶつかる)などの運動障害が見られることもあると言われています。
アテトーゼ型
脳性麻痺の約20%に見られると言われているのが、「アテトーゼ型脳性麻痺」です。これは、脳の大脳皮質や脳幹、視床をつないでいる「大脳基底核」という神経核が集まる部分が損傷を受けることで生じます。
大脳基底核は、筋肉活動を制御し、随意運動を調節する指令を送る働きがあるため、この部分に損傷を受けると、自分の意図とは異なる、不随意運動が見られるようになります。
とくに、感情の高まりに比例して不随意運動が激しくなるという傾向があり、上半身などをねじるように大きく動かすといった特徴が見られます。また、これらの不随意運動による頚椎症などで神経が圧迫されて生じる、様々な二次障害も深刻な問題です。
知的障害や痙攣発作などの症状が見られることは少ないようですが、感音性難聴を合併することもあり、言葉の発音が難しくなるというケースが多いといった特徴があります。
運動失調型
脳性麻痺の約5%に見られる、「運動失調型脳性麻痺」は、私たちの視覚や聴覚といったあらゆる感覚を認知する、脳の「視床」と呼ばれる部位に損傷を受けることによって生じます。
そのため、運動に必要な平衡感覚などに問題が起こり、場合によっては歩行さえ困難なこともあるようです。
この場合も、四肢麻痺のケースと同様に、車椅子での生活が要され、ゆっくりと大きな動きしかできないという特徴が見られます。
硬直型
これは、脳の錐体外路系の神経伝導路に、損傷を受けることで生じる脳性麻痺です。硬直型の場合、筋肉の収縮が持続し、その緊張から四肢の激しい硬直が生じます。仮に、他人が硬直型脳性麻痺患者の手足を動かそうとしても、硬直状態ゆえに、容易に動かすことはできません。
混合型
先にも述べたように、脳性麻痺は、これらの病型を一つのみ発症するとは限らず、いくつかの病型を合併するケースも多いと言われています。それが、この「混合型脳性麻痺」と呼ばれるものです。なかでも、痙直型とアテトーゼ型が混同するケースが多いようです。
脳性麻痺の検査について
脳性麻痺だということ決定できる特定の検査方法というのは、現在のところ存在しません。
また、生後6ヶ月までは、脳性麻痺か否かを判断できるような明確な症状が出ることはなく、わかりにくいのですが、脳性麻痺の疑いがある場合、満2歳までに何らかの症状が出てくると考えられています。
脳性麻痺の疑いを発見した時点で、いくつかの検査を並行して行います。
脳性麻痺の兆候
脳性麻痺の兆候としては、出生後時間が経つに連れて、徐々に出てくると言われています。新生児期~乳児期に現れる兆候としては、
- 生後5ヶ月以降も首が座らない
- 反り返りが強い
- 哺乳が上手くできない
- 緊張時や興奮時の異常な姿勢
- 「はいはい」ができない
- 手足が動きにくい
などの症状が現れ始めます。そして、幼児期になるにつれて、
- 利き手と反対の手が動かせないなどの、運動発達の遅れ
- 異常な姿勢や運動
- 胸郭の変形
などの症状が現れ始め、その多くが定期的に行われる、乳幼児の健康診断の際に発見されると言われています。
脳性麻痺の検査方法
上項目であげたような兆候が見られたら、病院で検査を行います。まずは、妊娠中の母体の様子や、分娩時の様子などを母子手帳から探り、現在に至るまでの赤ちゃんの発育状況を確認する必要があります。
それらと合わせて、
- 聴覚、視力、および嚥下機能、筋肉の電位測定などの身体検査
- 心理発達検査
- 頭部MRIおよびCT検査
- 脳脊髄液検査
などの検査が行われます。
脳性麻痺の診断基準
脳性麻痺の診断基準として、先にあげた1968年に厚生労働省が定めた定義があり、ほかの国で定められている定義と共通性も高いため、この定義が多く用いられています。
しかし、アメリカでは、その後の様々な症例や研究から、これらの定義や分類を、更新するべきだという意見もあるようです。実際に、2004年に行われた「Workshop in Bethesda」という国際ワークショップでは、以下のような新たな定義が設定されました。
- 脳性麻痺とは、運動と姿勢の発達・異常の集まりを示す。
- 発生・発達しつつある胎児や乳児の脳内で起こった「非進行性の障害」によって、活動が制限される。
- 感覚、認知、コミュニケーション、認識、行動、発作性疾患が、脳性麻痺の運動障害としてあげられる。
日本では、厚生労働省が発表した定義に基づき、検査結果や、発達状況などから、脳性麻痺という診断をしているのが現状です。
また、WHO(世界保健機関)とSCPE(ヨーロッパ脳性麻痺の監視)によって作成されている世界共通の基準システムである「GNFCS(粗大運動能力分類システム)」では身体能力の判断基準として、以下のように分けています。
<レベルⅠ>
- 制限なく歩行が可能
<レベルⅡ>
- 長距離の歩行は可能だが、走る・ジャンプなどの行為はできない
- 歩き始めは、歩行補助具が必要なことがある
- 外出時には車椅子が必要になることがある など
<レベルⅢ>
- 立つときにはサポートを要さないが、座る際にはサポートが必要になる
- 外出時には車椅子が必要不可欠になる
- 手で持って操作できる「適応技術」を使うと、室内歩行ができる など
<レベルⅣ>
- 自分で運動することが限られる
- 座る際には、サポートが必要になる
- 車椅子を利用すれば自分で移動することができる など
<レベルⅤ>
- 頭や体幹などの重度の運動
- 適応技術や、人のサポートが必要不可欠
- 電動の車椅子を操作できることもある など
これらは、運動障害が重症になるにつれてレベルを示す数字が高くなっていきます。
脳性麻痺との向き合い方
現代の医療では、脳性麻痺を完治させることはできません。しかし、脳性麻痺に見られる様々な症状は、進行性のものではないため、早期発見によって、早い段階で訓練に取り組むことによって、運動機能が改善し、大幅に日常生活の質を上げることができるとも言われています。
脳性麻痺患者にとって、予後で重要な問題になるのは「治療」というよりも、今後の生活で何が必要なのかを見極め、あるいは判断し、それに応じた訓練やリハビリを重ねることです。
これらの機能訓練は「脳性麻痺リハビリテーションガイドライン」に記されている方法に基づき、重症度やそれぞれの運動障害に合わせて、必要な訓練を行っていきます。
ここでは、脳性麻痺患者が行う様々なリハビリについてをご紹介いたします。
理学療法
身体の動かし方や、姿勢を保つための練習など、生きるために最も基礎的で、必要性の高い動きを訓練するのが、この理学療法です。
無理に動かそうとすると、関節や筋を痛めてしまうことがあるので、無理をせず、理学療法士の指導のもと、正しい訓練が必要です。場合によっては、関節の変形などを防ぐための補装具や補助具を用いながら、歩行の訓練などを行います。
このときに大切なのは、脳性麻痺患者本人の、「動かしたいのに動かせない」といったストレスを、いかにサポートする側の人間が理解してあげられるかという点です。
身体的な訓練ばかりに気をとられるのではなく、精神的なサポートも並行しながら、無理なく行うことが大切です。
作業療法
作業療法では、理学療法で訓練した身体の動かし方を応用して、日常生活で必要な動作の訓練を行います。洋服を着る、食事をする、お手洗いをする、お風呂に入る、などの訓練を行う作業療法は、できるだけ自立した生涯を送るための大切な訓練であると言えるでしょう。
また、健康な小児にとって、「遊び」が大切な学習の場であるように、脳性麻痺の小児にとっても、遊ぶことは、重要な訓練になります。
このように、作業療法では、日常生活で必要な動作に加え、子供の年齢に応じた遊びも交えながらリハビリを行っていきます。
言語聴覚療法
脳性麻痺患者は、唇や舌、顎の動きなどに障害が出て、明確に言葉を発することができないといった症状が現れることがあります。
脳性麻痺ではない人達にとっても、コミュニケーションは、誰かと共存するうえで、非常に重要な手段であることを考えると、脳性麻痺患者にとっても、欠かせない手段であることは、容易に想像できるのではないでしょうか。
とくに、脳性麻痺の中でも、言葉や会話を理解する能力が正常な患者は、自分が上手く言葉を発することができないことで、大きな劣等感を抱くこともあるようです。
そのため、精神的なケアも並行しながら、唇や、舌、顎の動きや、発語の際に重要になる呼吸調節などの訓練を行い、より、はっきりとした言葉を発するためのリハビリが行われます。
対処療法
脳性麻痺によって、関節の変形などが生じ、歩行に強く障害をもたらしていると診断された場合には、対処療法として外科的手術を行うこともあります。
そのほかにも、脳性麻痺による顔面痙攣や眼瞼の痙攣、および尖足といった症状には、ボツリヌス治療が行われるケースもあります。これは、ボツリヌス菌の持つ毒素が神経に作用することで、筋肉の痙攣を緩和させるという治療法です。
このように、脳性麻痺によって生じる身体の問題に、対処的に治療を行いながら、訓練も合わせておこなうことが大切です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。現在でも、引き続き、世界中で脳性麻痺治療についての研究が行われています。
一方、現代の医療でできることとして、脳性麻痺が発覚した時点で、様々な訓練やリハビリを行っていきますが、あまりにも、「訓練、訓練」という生活を幼い頃から続けることで、大人になるにつれて、精神的あるいは人格形成に問題が出るケースも少なくありません。
また、脳性麻痺は、大人になってから本当の苦しみが現れてくるとも言われています。現代の医療がこういった障害に追いついていない中でも、患者本人や、患者を支える周囲の人間が、いかに人生の豊かさを見出していけるのかが、今後の大きな課題となりそうです。