「癌性腹膜炎」のことを「余震」に例える医者もいます。震度7の大地震の後に続いて起きる、震度5ほどの地震のことです。癌患者は「癌の発症」というとてつもなく大きなショックを受けた後に、ショックから立ち直って治療に専念し始めます。そこに「癌性腹膜炎」という新たな苦痛がのしかかるのです。
癌性腹膜炎はお腹に水がたまり、パンパンに膨れる苦しい病気です。そして癌死を早めることも珍しくありません。
腹膜とは
癌性腹膜炎をみる前に、そもそも腹膜とはどういう臓器なのかみてみます。
ラップで包む
人間の臓器は、いわばラップに包まれた状態で体の中に納まっています。
例えば、最も重要な臓器である脳は、髄膜やくも膜など4枚もの「ラップ」に包まれています。心臓も心膜に包まれています。「膜」は衝撃から臓器を守っているのです。
臓器の1つ
お腹の中には「腹膜」というラップがあり、胃、小腸、大腸、肝臓などを包んで保護しています。腹膜は半透明で、広げると畳1枚分にもなります。腹膜自体も立派な臓器の1つで、細い血管が無数に走っています。腹膜は「臓器を守る臓器」といえます。
胃炎や腸炎があるように、腹膜も臓器なので炎症を起こします。それが腹膜炎です。
癌性ではない一般的な腹膜炎とは
「癌性腹膜炎」ではない、いわば「一般的な腹膜炎」もあります。一般的な腹膜炎は、腹膜単独で炎症を起こすことはまれです。胃や大腸などに穴が開いたり炎症が起きたりして、それが拡大する形で腹膜炎を引き起こします。
腹膜炎の症状は腹痛から始まります。痛みは時間の経過とともに強くなります。また、悪寒、頻脈、発熱、嘔吐、下痢を引き起こすこともあります。放置すると意識を失って死亡する危険があります。一般的な腹膜炎も、相当危険な病気なのです。
さらに、お腹に水がたまることがあります。これは自然には抜けないので、お腹の皮膚からお腹の中に向かって針を突き刺し、管を挿入して強制的に抜き取ります。
一般的な腹膜炎の治療
治療は手術を行い、腹膜の炎症部分を切除します。または、お腹をメスで切って中に生理食塩水を流し込み臓器をジャブジャブ洗うこともあります。細菌による腹膜炎で症状が軽い場合は、手術を回避して抗生剤を投与することもあります。
癌性腹膜炎の原因
それでは次に、癌性腹膜炎をみてみます。
癌の後に発生
癌性腹膜炎も、単独で発生することはまれです。まずは胃癌や大腸癌、卵巣癌などが発生し、その癌細胞が腹膜に転移して癌性腹膜炎を引き起こすのです。
つまり、腹膜の中の臓器の異常により腹膜が炎症するメカニズムは、一般的な腹膜炎と同じといえます。
癌性腹膜炎の症状
癌性腹膜炎でも、一般的な腹膜炎と同じ症状が出ます。さらに癌性腹膜炎に特徴的で深刻な症状としては「癒着」「腸閉塞」「尿管閉塞」があります。
癒着
「ゆちゃく」と読み、「政界と財界のゆちゃく」と同じ漢字を使います。本来はくっついてはいけない2つのモノがくっついてしまう、という意味です。癌性腹膜炎では、本来は癒着してはならない2つの部分が癒着してしまうのです。
しかし臓器はそもそも「切れたらくっつく」性質があります。この性質があるお蔭で「傷が治る」のです。しかし手術などで人工的に切ったり傷を作ったりすると、フィブリンという物質が大量に分泌されます。フィブリンはいわば「接着剤」で、そのために「間違った傷の治り方」=「癒着」を起こしてしまうのです。
腸閉塞
それでは何が癒着するのかというと、例えば腸です。腸は、ホースのような管です。ホースを折り曲げて、折り曲げたところを接着剤でくっつけてしまうと、水が流れにくくなります。同じホースの別の部分も折り曲げて接着すると、水はもっと流れにくくなります。これを繰り返すと、完全に水が流れなくなります。
腸の癒着は、このホースと同じ状態になります。これが「腸閉塞」です。水がホースの中を流れないように、便が肛門に向かうことができなくなります。激しい腹痛と、膨満感に襲われます。最悪死亡します。
尿管閉塞
腎臓から膀胱までのホースを「尿管」といいます。尿管もホースなので、やはり癒着によって尿管が閉じてしまいます。「尿管閉塞」といいます。つまり、おしっこができているのにおしっこをすることができない状態になります。
腹水
腹膜内には健康なときでも腹水という水がたまっています。腹膜の中には大腸があって、大腸は絶えず動いています。腹水はこの大腸の動きの「潤滑油」になっています。つまり腹水は必要なものなのです。
腹水が問題になるのは、その量が数リットル以上に達したときです。健康なときの腹水の量は、数十ミリリットルしかありません。腹膜の中は臓器があって、そこに数リットルもの水がたまっていくのですから、臓器が圧迫されます。胃が圧迫されると食欲不振になりますし、肺に影響が及べば息苦しくなります。
腹水はどこから湧いてくるのかというと、血管からです。血液の成分である「水分」と「アルブミン」という成分は、健康なときでも血管の外に染み出ることがあります。癌になると染み出る量が増えてしまうのです。
また、健康なときは一度染み出た水分やアルブミンは再び血管の中に戻ることがあるのですが、癌になると戻りにくくなります。大量に染み出てくる上に排出できないので、腹水が数リットルというレベルまで増えてしまうのです。
癌性腹膜炎の検査
癌性腹膜炎は治療が難しい病気です。それは「確実な検査」がないからです。癌性腹膜炎は見つけにくい病気なのです。
CT、MRI
癌性腹膜炎を起こしているということは、すでに腹膜に癌が転移していることを意味します。
しかし腹膜の癌は「こぶ」を形成しないため、CTやMRI、X線といった画像検査による診断が難しいです。あるデータでは、CT画像で1センチ以下の癌性腹膜炎をとらえることができる確率は15~30%です。MRI検査でも同程度だそうです。
人の目
癌性腹膜炎が見付かるきっかけは、多くが腹水です。腹水が患者の「目」や医師の「目」で気付くようになるころには、最低でも1リットルはたまっています。そのような状態になって初めて医師が「癌性腹膜炎の疑いが濃厚だ」と気付くことが多いのです。
内視鏡
内視鏡は医師が「自分の目」で癌性腹膜炎を確認できるので、CTやMRIよりは診断の確実性は増します。
癌性腹膜炎の治療
癌の治療
癌性腹膜炎は、大腸癌や卵巣癌などに続いて発症するので、まずは「元の」癌の治療を行う必要があります。治療において癌性腹膜炎のみの治療を行うことはまずありません。これが、癌性腹膜炎ではない「一般的な腹膜炎」の治療とは異なる点です。
治療法としては、手術や抗がん剤による化学療法になります。しかし、「元の」癌の治療も困難を極めるでしょう。癌性腹膜炎は転移のひとつなので、癌性腹膜炎の患者の癌はすでに複数の臓器をむしばんでいることが多いからです。医者が手術を断念して本人や家族に「手の施しようがありません」と言うのはこのようなときです。
姑息的治療
「こそくな奴」の「こそく」と同じ漢字です。「姑息的治療」は正式な医療用語です。根治を目指す治療以外の治療のことを指します。
癌性腹膜炎の場合、癌性腹膜炎自体の治療も、元の癌の治療も行えない場合があります。しかし癌性腹膜炎は「腹水」や「腸閉塞」といった合併症を引き起こし、それが患者を苦しめます。そこで外科医は、癌性腹膜炎も元の癌も切除しないのに、腸閉塞を治すために手術をすることがあります。これは典型的な姑息的治療の例といえるでしょう。
水を抜く
「腹水」では、お腹に針を刺してから腹膜の内側にチューブを挿入し、強制的に水を抜き取ります。こうすることで腹水が臓器を圧迫することから解放され、患者の苦痛が減ります。
しかし癌は残ったままなので、数週間もすると同じ量の水がたまってしまいます。水を抜く治療は繰り返し行わなければなりません。
まとめ
癌性腹膜炎は、癌患者の心に追い打ちをかける残酷な病気です。根本的な治療法もありません。また、患者は「死」から逃れられない場合も多いです。
だからこそ、患者の苦痛を確実に減らすことができる姑息的治療が重要になります。しかしこの治療は手間がかかるため、そもそも治療を行ってくれる医師は多くありません。