人は、生まれたらどんな人であれ必ずいつかは「死」を迎えます。残念ながらその確率は100%…。
とはいえ普段の日常の中で、多くの場合は「死」を意識せずに過ごしているのではないでしょうか。朝起きて、ご飯を食べて、会社や学校に行ったり、趣味を楽しんだりのんびりしたり、そしてまた眠って朝を迎え…当たり前のように明日を迎える。
ですがそんな中、ふと「死」について考え、恐怖や不安に襲われることはありませんか?一時的なものではなく、ひどい場合はずっとそのことばかり考えてしまったり、恐怖心から発作やパニックを起こしてしまう場合もあります。
今回は、なぜ人は「死」が怖くなるのか、また、その克服方法はあるのかをまとめました。
死が怖くなる原因
どうして死が怖くなってしまうのでしょうか。
夜はマイナス思考が働きやすい
夕方から夜になる頃、なんだか気分が落ち込んだり、普段気にならないことが不安になったり、嫌な妄想をして止まらなかったり…そんな経験はありませんか?
これにはちゃんとした理由があります。
「セロトニン」と呼ばれる、イライラや不安を抑え、精神を安定した状態に保つ作用のある神経伝達物質があるのですが、普通暗くなってくるとセロトニン量が減り、分泌も止まり、代わりに「メラトニン」と呼ばれる睡眠ホルモンが分泌されます。(朝になるとメラトニンが止まり、セロトニンが分泌される為、起きることができます。)
セロトニンは精神や感情を安定させる物質なので、これが減ってくると、不安を抑えることができずマイナス思考に陥りやすくなります。
そんな時に悲しい事件のニュースを見たり、特にきっかけがなくてもふと「死」について頭をよぎってしまうと、歯止めがきかなくなり恐怖に襲われてしまうことがあります。
特に寝る時間の遅い夜型の生活をしている人に、この傾向が強いようです。
親しい人と別れる恐れ
「年々年老いていく両親、もし死んでしまったら…」「私が死んだらもう好きな人と会えなくなってしまうんだ…」など、親しい人、好きな人たちとの別れは大変悲しいものです。
久しぶりに帰省して少し老けた両親を見たり、好きな人ととっても楽しい時間を過ごした後、余計に「死んでしまったらどうしよう」「もし死んだらもう会えなくなってしまうんだ」と不安に襲われることも考えられます。
人だけでなく、ペットの場合も同様ですね。愛する、また愛してくれる存在が消えてしまうことで「孤独への恐怖」ということもあるのかも知れません。
痛みや苦しみに対する恐れ
闘病中などの場合は、死の以前に症状によって病気による痛みや苦しみがあるかも知れません。
健康である時に死を恐れる場合、「とても痛いかも知れない。」「ものすごく苦しいかも知れない。」といった肉体的恐怖を感じることで、死を怖いと思うこともあるでしょう。
「死」と一言で言っても様々な死に方がありますし、実際に痛みを感じるかどうかは亡くなってしまった方から聞くことはできませんので、想像することしかできません。
こういう時というのはより恐ろしい想像をしてしまいがちなので、自ら余計に恐怖を増幅させてしまいます。
喪失への恐れ
先に挙げた「親しい人との別れ」も喪失への恐れの一つと言えるでしょう。
それ以外にも、自分が得たもの、努力して築き上げたものなどを「死」によって失ってしまう、という恐怖もあります。
そう考えると、「一体なんの為に今頑張っているのか」といった虚しさや、「どうせすべて無駄になってしまうのだ」という絶望感にも襲われる可能性があります。
死後の世界への恐れ
「死んだらどこに行ってしまうんだろう」「地獄に堕ちたらどうしよう!?」など、死後のことを想像して怖くなってしまう人もいるかも知れません。
「痛みの想像」と同様に、死後の世界についても、生きている私たちには知ることができません。
テレビや映画、本などで作られた死後の世界を見ることが恐怖へのきっかけになるかも知れませんし、何もわからないという漠然とした不安が引き起こすこともあるでしょう。
こういう恐怖から解放される為に、宗教を信仰する場合もあります。
死の恐怖を克服するには?
必ず訪れる「死」。そもそも死とは本当に怖いものなのでしょうか?死への恐怖を克服するためのヒントとなるような情報をご紹介します。
老人は死を恐れない
「あ~早くお迎えが来てほしい」「そのうちお迎えがくるから」「早く死にたい」なんてことを笑顔で話しているお爺ちゃんお婆ちゃんを見たことはありませんか?
一般的には死に近づいているはずなのに、お年寄りの方々は上記のような恐怖に襲われることはほとんどないようです。
おそらく体力もなくなってきて体の自由が以前よりもきかなくなってきたり、病気などを患っていると回復が遅く、治療が長引いて苦痛が続くなどを経験して「もう十分に生きたから、早く楽になりたいなぁ」という気持ちになります。また大切な人、親しい人が先に亡くなってしまったという経験を既に経験しているでしょうから、想像ではなく現実として死を受け入れ、「死んだらまた会えるねぇ」といったことも考えられるようになります。
お爺ちゃんお婆ちゃんたちがゆったりと穏やかになっていくのは、もしかしたら「死への恐怖」つまり色々な欲や執着から解き放たれているからかも知れません。
「死」を前向きな行動への原動力にする
どんな人でも死んでしまうという絶望や、別れの悲しみ恐れはありますが、死とはどんな人にも「時間は有限である」ということを意味しています。
どうせみんないつかは死ぬのです。だったら、小さなことでウジウジクヨクヨと悩んでやりたいことをやらないとか、失敗したらどうしようと挑戦できずにいること、嫌われたらどうしようと愛する気持ちを言えない…等、それはもったいないことかも知れません。
年上の人から「私があなたの年齢だったら、絶対に○○するわ!」「若いから色んな可能性があっていいね!」などと言われた経験はありませんか?
人は生きている限り老いていきますし、死は年齢に関わらずいつ訪れるか分かりません。それであれば生きている「今」という貴重な時間を、”思い切り””一生懸命””楽しむ”ことが大切だと前向きに捉えてみませんか?
死んでもすべては消えない
死は肉体の消失です。魂と言われるものがあるのかどうかは分かりませんが、死によって喪失や努力が無駄になることへの恐れがあるのなら、「ただ肉体が消えるだけ。自分が残したもの、魂、他の人の記憶からは消えない。」と思ってみてはいかがでしょうか。
『本当の死とは、誰からも思い出されなくなった時』
という言葉を聞いたことがあります。つまり本当に怖いのは死そのものではないのかも知れません。
生きている間に関わる人というのは世界中の人口からみるとほんの僅かです。その縁を大切にし、思いやりをもって接し、楽しく笑ったり、時にはケンカしたりと関わっていれば、きっと死後「会いたいなぁ」「素敵な人だったなぁ」と誰かの思い出の中で生き続けることができるでしょう。
”目に見えないものほど大事”というのは、こういうことなのかも知れませんね。
夜の思考は普段と違うことを自覚する
原因の項目でも挙げましたが、特にきっかけがなくても夜は不安や恐怖に襲われやすいのです。
かといって何も考えるなというのは無理ですから、もし夜になると死について考えてしまう場合は、先ほど挙げたように「セロトニンの分泌が減ることで起こる仕方のないこと」「朝起きたら気にならなくなること」を自覚しましょう。
夜の間だけ、と思えば、少しは心が楽になるかも知れません。深夜になればなるほどこの傾向は強くなるので、できるだけ早めに就寝することもおすすめします。
また、恐怖心から不眠やパニック発作など身体に症状が起こってしまう場合は、心療内科などを受診し、適切な治療を受けましょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。意外と多くの人が、ふと「死が怖い」と感じることがあるようです。
「死」があるからこそ、私たちは「生」の喜びを感じることができます。怖いと感じるのは生きている証拠。実態の分からない「死」に怯えるより、今確実にある「生」を大切にしていきたいものです。
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