「無償の愛」という言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くでしょうか?無償の愛を簡単に言うと、見返りを求めない愛と言えるでしょう。このような相手に見返りを求めない「無償の愛」は、言葉にすると非常にシンプルで誰にでもできそうな印象を抱くかもしれません。
しかしながら、「無償の愛」をいう言葉を見聞きすることと、実際に無償の愛を行動として表現するのとでは、大きな違いがあり誰にでも簡単にできることではないのです。これは「無償の愛」という言葉がシンプルであるが故に、言葉の意味もやや抽象的で、漠然としたイメージになりがちだからです。
そこで今回は、「無償の愛」の意味や由来を明らかにした上で、親子関係・夫婦関係・恋愛関係などの中に「無償の愛」が存在するのか具体的に見ていきたいと思います。
「無償の愛」とは?
そもそも「無償の愛」とは、どのような愛情のあり方なのでしょうか?「無償の愛」という言葉を何気なく使ってしまう人は少なくないと思いますが、その意味について明確に把握している人は意外と少ないでしょう。
そこで、まずは「無償の愛」という言葉の意味と由来について、ご紹介したいと思います。
「無償の愛」の意味
「無償の愛」という言葉の意味について複数の国語辞典を調べてみると、それぞれ表現に多少の違いはあるものの概ね次のような意味を持つことが分かります。
- 見返りを求めない愛情
- 利益を求めない愛情
このような意味からすれば、「無償の愛」とはギブ・アンド・ギブの関係で常に自分が相手に愛情を与え続けることだと言えます。少しでもギブ・アンド・テイクの方法で見返りを求める気持ちが生じれば、すでに「無償の愛」ではないと言えるでしょう。
「無償の愛」の類義語
このような意味を有する「無償の愛」という言葉について、参考までに類義語を探すと次のような言葉が挙げられます。
- 見返りを求めない愛
- 本当の愛
- 真実の愛、まことの愛
- 大慈悲
- アガペー
「無償の愛」の由来
「無償の愛」という言葉の由来は、ギリシア神話まで遡ることになります。古代ギリシア語には、愛を意味する言葉が四つ存在し、それぞれ次のような概念として理解されます。
- アガペー:自己犠牲的な愛
- エロス(エロース):男女の性愛、肉体的な愛
- フィリア:隣人愛、友愛
- ストルゲー:家族愛
このような古代ギリシア語によるギリシア神話やギリシア哲学などが、最初期のキリスト教で援用されることでキリスト教的倫理観と結び付きます。その結果、キリスト教倫理学において、アガペーが「神の愛」・「神の与える愛」を意味するようになります。
そして、このようなキリスト教倫理学におけるアガペーが、日本語訳されるにあたって「無償の愛」とされたわけです。
親子関係における無償の愛
このような「無償の愛」の意味や由来を踏まえた上で、どのような愛情の形が無償の愛と言えるのでしょうか?
「無償の愛」という言葉の意味は、やや抽象的で漠然としたイメージになりがちですから、まずは親子関係における無償の愛について、具体的に説明してみたいと思います。
母親の自身の子どもに対する愛情
無償の愛の具体例として最も取り上げられるのが、母親が自分自身のお腹を痛めて生んだ子供に対する愛情です。
女性は自分自身のお腹を痛めて赤ちゃんを産むと、母親として泣くことしかできない赤ちゃんに対して、自分の趣味などを楽しむ時間や睡眠時間を削ってまで育児に力を尽くします。言葉を話せず自分一人で行動できない赤ちゃんに対して、母親が感謝の言葉や見返りを期待することはありません。このような母親の赤ちゃんに対する愛情は、まさに無償の愛と呼べるものだと言えるでしょう。
一方で、赤ちゃんが言葉を覚え中学生や高校生といった大人に近い状態にまで成長すると、母親が子供に感謝の言葉を期待する気持ちが僅かでも芽生えるかもしれません。そういう心理状態になると、母親の子供に対する愛情の存在に疑いようはありませんが、無償の愛とは呼べなくなるでしょう。
ましてや、子供がさらに成長して、母親が自分自身の老後の世話を期待するようになると、完全に見返りを求めていることになるので、もはや無償の愛とは呼べないのです。
父親の自身の子どもに対する愛情
男性は女性と異なり、自分自身のお腹痛めて赤ちゃんを産むわけではありません。ですから、母親が子供を自分の分身とまで考えて赤ちゃんに身を捧げることに比べると、誤解を恐れずに言えば、男性が父親となって子供に注ぐ愛情は母親ほどの本気度があるとは言えないでしょう。母親側の愛情と父親側の愛情を、同列に論じるのは注意が必要かもしれません。
もちろん父親の子供に対する愛情が存在しないというのではありません。父親でも子供に対して無償の愛を注ぐことができる人もいるでしょう。例えば、子供から理不尽なことをされても常に許せたり、自分のことはさておき子供の教育のために援助を惜しまない、などといった行為は無償の愛と呼べるかもしれません。
しかしながら、一般論として父親の愛情深さよりも母親の愛情深さのほうが勝ります。また、母親の場合と同様に、感謝の言葉や老後の世話の期待が芽生えたり、息子に家を継いでもらいたいといった気持ちがあると、見返りを求めることになるので無償の愛と呼べなくなるでしょう。
夫婦関係における無償の愛
このような親子関係における無償の愛を具体的に見ただけでも、無償の愛と呼べるには大きなハードルがあることがお分かりいただけると思います。
それでは、次に夫婦関係における無償の愛について、具体的に説明してみたいと思います。
夫婦関係における無償の愛の具体例
例えば、男女が結婚して、妻となる女性が自分の仕事を辞めた上で家庭に入り、夫となる男性が仕事で報酬を得るためのサポートを全力でするようなケースです。この状況では、妻は自分の仕事を投げ打ち、常に夫の味方としてサポートに徹しよういうのですから、妻がそれで幸せだと思えれば無償の愛と呼べるかもしれません。
また、別の例を挙げると、男女が結婚して、お互いに尊敬し合い愛情で結ばれていた場合に、夫が早逝しても妻が再婚せずに亡くなった夫を愛し続けたままで人生を全うしたというケースです。生き残った妻からすれば、夫は亡くなっているわけですから、そこに見返りを求める気持ちは全くありません。このような愛情は、まさに無償の愛と呼べるでしょう。
無償の愛と呼べない具体例
例えば、男女が結婚して、妻となる女性が自分の仕事を辞めた上で家庭に入り、夫となる男性が仕事で報酬を得るためのサポートをするようなケースです。前述のように妻が全力で無心に夫をサポートするのならば無償の愛と呼べるかもしれませんが、妻が単に夫の収入を目当てにしている場合は利益を求めているので無償の愛と呼べないでしょう。
また、長年結婚生活を共にしていると、夫に対して思いやりは持っていても夫はお金を持ってくる人と妻が考えてしまう傾向があります。さらには、妻が夫に愛情を注いでいるのに夫は愛情に答えてくれないという思いも芽生えるかもしれません。これらの場合、利益や愛情の見返りを求めているので、無償の愛と呼べなくなります。
恋愛関係における無償の愛
このように親子関係と夫婦関係における無償の愛について具体例を交えて説明してみましたが、親子関係以上に夫婦関係において無償の愛を見い出すには大きなハードルがあることがお分かりいただけると思います。
それでは、次に恋人同士の恋愛関係における無償の愛について、具体的に説明してみたいと思います。
そもそも「恋」とは?
そもそも「恋」・「恋愛」は、いくつかの国語辞典を見てみると、概ね次のような意味を有していることが分かります。
- 男女がお互いに恋しく思って、追い従おうとすること。
- 人を好きになって、相手と会いたい、あるいはそばにいたいと思うこと。
恋愛関係には無償の愛は存在しない?
このような「恋」・「恋愛」の定義からすれば、当然ですが相手に自分のことを好きになって欲しい、自分が相手の本命になりたい、といった感情や気持ちが恋愛感情の裏に隠れています。つまり、恋愛関係においては、男女双方とも相手に振り向いてもらいたい、常に自分を見ていて欲しい、という欲求が存在するのです。この欲求を実現したいがために、自分も相手に対して相手が望むことをしてあげるわけです。
ですから、恋愛関係は構造的にギブ・アンド・テイクの関係性にある以上、恋愛関係においては基本的に無償の愛が成立しないと言えるでしょう。
例えば、片思いの恋であって相手が自分を振り向いてくれないことが分かっていても、いつか自分に振り向いてもらいたいという気持ちが存在すれば、それは見返りを求めているので無償の愛ではないわけです。また、いくら自分が相手のために尽くしに尽くすケースでも、自分が尽くすことで相手の愛情を引き寄せようというギブ・アンド・テイクの関係にあるのですから、この場合も無償の愛ではありません。
この点、恋愛関係において無償の愛が成立する可能性があるとすれば、一方が独身である不倫関係のケースです。例えば、独身女性が妻子ある既婚男性と恋愛関係にあって、独身女性が一ミリたりとも略奪愛を考えていない極めて稀な場合です。現実的には、ほとんどないと思いますが、この独身女性が男性家族の幸せまで願っていたならば、男性に対する無償の愛と呼べる余地があるのかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?「無償の愛」の意味や由来を明らかにした上で、親子関係・夫婦関係・恋愛関係などの中に「無償の愛」が存在するのかについて説明してみましたが、ご理解いただけたでしょうか?
本記事でまとめたように単に恋愛関係において、相手に尽くすだけでは「無償の愛」とは呼べません。「無償の愛」とは、親子または夫婦になって他人の壁を越えること、見返りや利益を相手に求めないこと、という二つの境界線を乗り越えた先に成立し得るものだと言えるでしょう。
このように実際に無償の愛を行動として表現するのは、実は非常に難しいことであって誰にでも簡単にできることではないのです。