ときどき「あれ、あのときそんなことしたかなあ・・・」とか「うーん、そんなこと言った記憶ないんだけどなあ・・・」なんて、経験されたことがある方は少なくないですよね?または、「あっ、そういえば、あのときそんなことあったっけ⁈」なんて、急に思い出した経験された方も多いはずです。
いずれも、よくあることなのですが、このような症状が重くなっていくと、乖離性障害を患っているかもしれません。もしかすると、あなたの周りにいるそんな人を「そんなこと、あるはずがない!」とか「演技だ!」と、一笑に付してはいませんか?
でも、この症状、本人にとっては、笑って済ませることができる症状ではないのです。そんな症状にお心当たりのある方のために、これから乖離性障害についてお話しします。
乖離性障害とは
「乖離性障害って、どんな病気?」と、疑問に思う方も少なくないですよね。
英語では「dissociative disorder」と呼ばれており、日本では、一般的に「解離性障害」と訳されています。ですが、ここでは「解離」ではなく「乖離」と訳しておきます。
その理由は、後ほどお話ししますね。
乖離性障害の原因は?
「乖離性障害」(かいりせいしょうがい)普通の方には、思いもよらないかもしれません。
同じ一人の人なのに、つまり、同一人物なのに「記憶がない・・・」とか「覚えていないとか・・・」と言われても、「政治家の答弁じゃないんだから」と、思わずツッコミを入れたくなる方もいるでしょう。
「そんなこと言われても、にわかには信じられない!きっとごまかしているだけだ!」と思われる方も少なくはないはず。でも、それが、この乖離性障害の怖ろしさでもあるのです。
なんらかの原因、たとえば、トラウマとなる強烈な心的外傷やストレスなどを長期間にわたって受け続けると、人の心の内にある人格というものは、その心的外傷に耐えられなくなります。
そして、耐えられなくなったその人格は、「現実逃避」や「乖離」、「引きこもり」といった症状となって現れてきます。最近、珍しくなくなった「ニート(引きこもり)」や「リストカット(手首を切る行為)」などの自傷行為も、そんな症状の典型です。
実は、この乖離性障害、まだまだ解明されていないことが多く、その原因も明確には特定されていません。したがって、きちんとした治療法もまだ確立されていないのが実情です。
乖離性障害の原因①ー日本語では?
乖離とは、「はなれてしまうこと」ですが、「何がどうはなれてしまうのか」良くわからないですよね。まずは、辞書で定義を確認してみましょう。
乖離(かいり)
そむき離れること。はなればなれになること。
広辞苑第一版 岩波書店
「乖離」の定義だけでは、抽象的すぎて理解するのは難しいので、具体的な使い方を確認してみましょう。
乖離概念(かいりがいねん)disparate concept
概念が内包において何等の共通点なく同一類概念に包摂できぬ概念。例えば、徳と三角形。
同書
難しそうに感じるかもしれませんが、要は何ら関連のない事柄ということです。
解離(かいり)
- 解け離れること。解きはなすこと。
- 一つの分子がその成分原子、原子団または他の分子に分解し、しかもその分解が状況によって逆行すること。可逆的な分解。
同書
とあります。
こちらの「解離」は、「(現実から)はなれるが、ふたたび戻ってくることもできる関係性」です。
こうして見ると、同じ読み方である「乖離」と「解離」ですが、「直接的な関連性を持たない二つの存在」と「はなれはするが、ふたたび戻ることができる存在」では、その意味合いがまったく異なることがお分かりいただけましたでしょうか?
この違い、つまり、この障害は無傷で戻ってくることはできないので「乖離性障害」と訳したのです。
乖離性障害の原因②ー英語では?
それでは、この病気、英語ではどのように定義されているのでしょう。
最初にお伝えした通り、英語では、乖離性障害のことを「Dissociative disorder」と言います。この場合、「disorder」が「障害」にあたります。では、「dissociative」とは、どのような障害なのでしょう?
「dissociative」という形容詞は、動詞である「dissociate」の派生語(はせいご:簡単に言うと、その単語の元になった単語のことです)なので、「dissociate」を英英辞典で調べてみましょう。
dissociate v.
1. to say that one does not agree with or support sb/sth:
(誰かに(何かに)同意しない、または支援もしないと言うこと)
2. to separate people or things in one’s thoughts or feelings:
(人の思考あるいは感情において、人あるいはものを分け隔てること)
OXFORD Advanced Learner’s DICTIONARY
(筆者訳)
と、定義が二つあります。どちらの定義も意味深いですね。
1つ目は、「同意もしないし、支援もしないと明言すること」、2つ目は「1人の思考や感情を『人』あるいは『もの』を分け隔てること」とあります。
この場合、「2」の定義が「乖離性障害」の症状を、適切に表しています。そして、まさにこの部分こそ、この症状の中核をなしているのです。つまり、強烈な心的外傷の原因によって、「1人の人の中にある考えや感情を、複数の『人』あるいは『もの』に分割してしまう」んです。
通常、人格は一人の人に一つなのですが、強烈な心的トラウマあるいはストレスを受け続けると、人の心はその負荷の重みに耐えられなくなって、別の人格を作り出してしまうことがあるのです。
そして、「新しく形成された人格」と「元来存在していた人格」の間で、それぞれの情報を受け渡さないことは珍しくありません。そのため、「『元来存在していた人格』のときに起こった事柄などを『新しく形成された人格』では認知できない」のであり、そして「その逆もまた然り」なのです。
そのため、「そんなこと覚えていない・・・」とか「そんなこと言った記憶ない・・・」という現象が、患者さんには起こっているのです。ですが、ご家族や友人など、患者さんに親しい方は、その点にご配慮してくださいね。まさしく、常人には理解の及ばぬ情況・・・患者さんにとっては、苛酷すぎる体験です。
本来、人は、幼少より自我というアイデンティティーを少しずつ構築していき、それを社会の中で関連づけて行動する生き物です。子供の自我の構築過程と外界との接触が、子供の成長であり、それを助けるのが子育てなのです。
それなのに、育児はおろか、逆に自我を崩壊せしめられ、そのうえ、他の人格を形成せざるを得ない苛酷な環境。
当然、こころはもちません。その結果が、「自傷行為」や「引きこもり」、「多重人格」などとなって、見(あら)われてくるのです。
ほんとはコワイ英語の定義①
先ほど、「dissociate」の定義は、どちらも意味深いと触れましたね。乖離性障害では、「2」の定義が、その症状を適切に表していることもお話ししました。
では、「1」の定義は、どう捉えたらよいのでしょう。誰からも同意されず、支援もされないと、人は、いったいどうなってしまうのでしょうか?
>はい。人のこころは壊れます。
周囲にいる人間による「1」の行為の結果、患者さんは「2」のような症状に陥れられてしまうのです。
つまり、「dissociate」という英単語の定義には、乖離性障害の原因となる行為である「1」と、その症状である「2」という2つの定義が存在するんですね。
すなわち、”dissociative disorder”という乖離性障害は、きわめて人為的な原因によるものであり、悪意ある人間の所業による作為的な病気なのです。
ほんとはコワイ英語の定義②
さらに、「dissociate」の1番目の定義「誰かに(何かに)同意しない、または支援もしないと言うこと」を1語で表すと「alienate」となります。
実は、この単語もなかなかキツイ定義です。
alienate v.
1. to make somebody less friendly or sympathetic towards you:
(自分は、相手と仲良くしない、あるいは共感しないようにする)
2. to make somebody feel that they do not belong in a particular group:
(相手に、特定のグループに属していないと感じさせること)
Ibid.
1の定義も2の定義も、相手を無視したり、仲間はずれにしたりする「疎外行為」です。
つまり、仲間外れにして、相手の存在や帰属意識をも否定します。このようにして、相手の人格、つまり相手の人生や権利を侵害して、こころを病める状態に追い込むんですね。
ここまでくると、人ではなく、けだものの類の所業です。いったい、人間様は、何の権利があってこのようなことをするのでしょうか?
最近、とみに見られる学校のいじめ事件の典型が、英語ではこのように「alienate」という単語で、すでに定義されているんですPPP\^o^/PPP
乖離性障害の症状例
乖離性障害には、いくつかの症状があります。そのうち、以下の3つの症状について、お話ししますね。
- 乖離性健忘
- 乖離性遁走
- 多重人格障害
乖離性健忘
突発的な心的ストレスにより、そのときあったできごとを記憶から抹消してしまう症状です。
数日など、短期間で記憶が戻ってくる場合(フラッシュバック)も有りますが、長期間にわたって記憶が戻らないことも多く、ちょっとしたきっかけをもとにして、不意に、記憶が戻ってくる場合もあります。
記憶が戻ってくると、突発的な症状が出ることもあれば、冷静に見極める場合もあります。
乖離性遁走
自己のアイデンティティー、つまり「自分が何者であるのか」ということが失われてしまい、失踪してしまうことがあります。学校や職場などで極端に強度なストレスにさらされ、そのパルス(衝動)が蓄積されていきます。
蓄積されていったパルスが、こころの許容量を超えると、突発的に発症したり、記憶を無くすときもあります。また、乖離性健忘同様、冷静な目で見極めるときもあります。
多重人格障害
1人の心のうちに、複数の人格が存在する多重人格障害は、アメリカ精神医学会の診断ガイドラインであるDSMでは、解離性同一性障害と呼ばれています。
複数の人格は交互に現れ、互いの人格間同士の情報の受け渡しがないことも多々あります。その結果、「別の人格のときの記憶がない」などといった症状がみられます。
すると、「言った」「言ってない」の水掛け論などになり、日常生活、つまり人間関係などで支障をきたすことも珍しくありません。
ここでは、お話しできませんでしたが、その他にも身体が硬くなって動かなくなってしまう「カタレプシー」や「乖離性昏迷」、自分が自分であることを自覚できなくなって、第三者の視点から自分を見つめる「離人症」など、患者さんにとっては本当に辛い症状があるのです。
このように、乖離性障害は、患者さんにとってきわめてつらい症状をもたらします。にもかかわらず、「権利」を持っているはずの患者さんに、そのような症状をもたらす「人間の権利」って、いったい何なんでしょうね?
乖離性障害の治療
たいせつな環境
乖離性障害を治療するためには、以下の3点が重要です。
- 安心して治療できる環境を整えること
- 家族など周囲の人の理解
- 主治医との信頼関係
乖離性障害の主たる原因は、他者への心的ストレスによる自己表現の未達です。すなわち、乖離しているこころは、他者と、安心かつ信頼できる関係性を構築できないと、自己を表現することはできないのです。
催眠や暗示によって、早期に乖離性健忘や乖離性遁走、多重人格障害などを解消することは難しく、逆に、症状を悪化させてしまう危険性もあります。
患者さんにとって、安心で安全な環境を整え、自己を表現する機会を提供するとともに、症状が自然治癒していく経過を見守る必要があります。
たいせつな情報提供
さらに、乖離性障害の治療には、積極的かつ適正な情報提供も欠かせません。
患者さんは、乖離による人格間の情報共有の欠如により、周囲から信頼されず、演技していると思われることも少なくありません。
そして、そのような誤解を周囲の人々から受けると、患者さんの症状はさらに悪化の一途をたどる可能性が高くなります。まずは、患者さん自身に、症状を自覚して理解してもらうこと、さらに、その症状を周囲に理解してもらうことが、何よりも大切なのです。
乖離性障害には、特効薬など存在しないのです。
乖離のあとに
自己の権利は主張する。されど、他者の権利は侵害する。これすなわち、自己の権利の否定なり。
筆者
これが、日本の民主主義の実情です。たかだか150年程度の、上からもらった民主主義の権利意識など、所詮その程度です。
原典をあたらずに、まやかしの学校の教科書だけを勉強して「勉強したつもり」になった人間は、その「中途半端な悪知恵」を悪用して他人を陥し入れます。
ゆえに、他者のこころを平気で壊すことができるのです。人間とは、まさに魑魅魍魎の類ですね。本来、自己の権利を主張するということは、他者の権利を認めることに他なりません。自己の権利の主張と他者の権利の承認は不可分なのです。
つまり、民主主義下における権利を享受する個体が、同じく権利を享受するはずの別の個体の権利を否定する。そして、それを「弱肉強食」の論理で正当化する。
まさにレトリック・・・。
この論理、本当は続きがあります。
自己の権利を主張しながら、他者の権利を侵害するということは、すなわち、自己の権利をも否定していることに他ならないのです。
にもかかわらず、人間というけだものは、自己の生存本能のおもむくままに、他者を虐げる生き物なのです。人が人たらんと努めているのに、おろかな人間は、素知らぬ顔で横槍を入れ、足を引っ張る。
まさに、「自分さえよければ」を旨とする貪欲な「自我」が跋扈する世の中。それが、現代の日本という国のありようなのです。
そこで、みなさんにお尋ねします。「あなたは、他者の権利を認め、尊重して生きてきましたか?」
乖離性障害の原因の根底には、おろかで浅はかな人間がそなえもっているむき出しの本性と、そんな横暴なコギトの犠牲となった多くの患者さんのこころがただよっているのです。
「権利を否定される」と、どうなるのか?そんな苛酷な経験が、否定され続けてきたこころをどれほど傷めつけてきたのか、そろそろ気づいていただけることを願うばかりです。
「憲法守れ!」とか「戦争反対!」などといったスローガンを、最近よく耳にします。権利を守るためには、当然のことですよね?
古より、
「歴史は繰り返す」
と、言います。
「他者の権利の否定が、いかなる結末を迎えるのか?」
そろそろご理解いただきたいものです。
まとめ
このように、乖離性障害の方は、一生懸命みずからを統合しつつ、分裂しているのです。分裂している自我を一つにまとめているときが、きっとあるのです。
そんな方のために、安心で安全な環境を整えてあげましょう。そして、長い目で、彼らが心を一つにするのを温かい心で見守ってあげましょう。
まわりに、乖離性障害の患者さんがいらっしゃる方々は、根気強く、そんな心のあり方に、気を配ってみましょう。